忍者ブログ
日々のあれこれを徒然なるままに、書き連ねているだけですw
[225] [224] [223] [222] [221] [220] [219] [218] [217] [216] [214]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

昨日は体育をした。
クソ暑い体育館の中でフットサル。

男女混合だからやりにくい。

男同士の体育って結構アグレッシヴなプレーがあったりする。
体当たりや身体を張たプレーなどはまさに肉弾戦である(・ω・)/

喰らったら痛いけど、やられても一生懸命、夢中のプレーだから一つの爽快感がある。
(Mなんかぁ?)

【貴様と俺とは~、同期の桜~♪
同じ学校の庭に咲く~♪】
(『同期の桜』より改造)



しかし混合となるとそうはいかない。
アグレッシヴなプレーになりかけたら、相手が怯えたり、軽い悲鳴じみた声が聞こえたりするからだヾ( ´ー`)

手加減せなと意識して実行するのがキツい。



それは置いといて、運動不足と二十代半ばの年のせいか、一時間ほど目がチカチカ、頭が響くように痛かった。
息切れの苦しさがわずかに残っていたし。




しかし、息苦しさもあの時に比べればマシやな。

長い前フリからようやく本題に入る(^_^;)

ぽわわわ~ん(回想シーン)


高校一年の冬、ワシはバイパスで事故った。
から反対車線の無視で渡ろうとした時の事やった。
(相手にはマジにいい迷惑だな。)


そんでに運ばれ、CT、エコーやレントゲンを撮ったん。

結果はなんともなかったやけんが、この時のお医者さんから『肺の上部の皮が薄いみたいなので、ひょっとしたら穴が開くかも知れません。』


それから半年後。
ワシは当時、通学をしていたんよね。
いつも遅刻スレスレなんで、かなり飛ばしとりました。

なんちゅうか、教室着いたら、かなり息苦しかったん。
普段より急いどったけんキツいだけやろうと思とったんやが、何時まで経っても治らん。
体育をしたらマシで昇天しかける。
右胸に鈍痛がずっとあり、授業どころではなかった。

まさか肺がやられた?


その日は早退してウチのに行き、伯父さんにレントゲンを撮ってもらう。

思っていた通り『肺気胸』やった。

そんで伯父さんに知り合いのに紹介状を書いてもらった。

肺気胸とは。
肺の上部にブラという皮の薄い小さな袋(例えると風船のうえに梱包資材を包むプチプチがある感じ)が出来て、ブラが破れる事で、肺の空気が漏れ、身体内に溜まり、肺を圧迫する病。
要は肺に穴が開いて、漏れた空気が肺を圧迫するわけだ。

両肺同士にやられると死ぬ事もあるが、幸い右肺のみ。

だが破れたブラは大きなヤツらしく、3、4時間で右肺の容量は普段の30%足らずにまで縮んでいた。
早い進行の為、紹介先の(新生病院)に着くなり、いきなり手術。

局部麻酔をして、脇腹を切り、切り口からチューブを通して体内の空気を抜きます(ドレーン手術)。
この手術がマジ痛い(ノ_・。)

局部麻酔で表面や浅いところは効いとるけんまだいいが、チューブを通す時、胸膜を破る時、チューブがゴツゴツと肋骨に当たる時、針で縫う時が…(;_;)

さらに体勢を変えたり、起き上がろうとしたら、チューブが肋骨に当たり痛いのね…。

看護婦さんは『起きる時にを鳴らしてくれたら起こしてあげます』と言ってくれた。
ありがたいが、ワシは頼まなかった。ヾ( ´ー`)
なんかホントに病人になりそうで(病人なんにねw)。

高校でいつもつるんだYの母がそこのの看護婦さんで、挨拶に来た。
『いつも息子がお世話になってます。』
のW杯だったので、消灯時間後にもコッソリを見てたなぁ。
実は看護婦さんにもバレてたらしい(Yの母曰わく)が、若いから可哀想とかでお咎めなしだった。


入院して二週間経てども、なかなか治癒せん。大抵は自然治癒で穴が塞がるのらしいんが…。
そうやけん、内視鏡を使い手術(胸腔鏡手術)なり。
脇腹の二カ所を切って、そこから内視鏡を入れてブラを切り取り、開いた穴を閉鎖する手術である。
手術自体は一時間ほどで終わる簡単なもので、元気な人なら翌日から動けるらしい。


手術の日で覚えておる事。

じいちゃんが来た。当時、地元の医師会長だったらしいから、気胸はここの病院がいいと伯父さんに助言したのもじいちゃんだったと思う。
伯父さんは元々福岡市の人だから、地元のに明るくなかったのだろう。


叔父さん夫婦がいたような?


前日には浣腸と剃毛をされた(//□//)
ウブな思春期の時に、看護婦さんにされるのはかなりショックですよ。

今なら、若い看護婦さんでカモンですよ?wヽ(゜▽、゜)ノ


全身麻酔が始めはなかなか効かずに、量を上げたらぐっすり(^o^;)

手術の終わり頃に麻酔が切れかけて暴れる。
三人で抑えられたこと。

(後で聞いたが手術が終わり、鼻に管を通す(何の為か不明)際のこと。)


そんでまた麻酔でおネンネ。

おかげで麻酔の量が多かったらしく、完全にネンネどす。
手術室から個室へ運ばれる際に『起きろ~』と顔をパシパシされた覚えがあります。

なんつうの?手術やこの時の意識は夢現な気分。
夢みたいになんとなく意識はあり、分かるが、あまりにも眠くて身体が動かない気分。


このため手術の次の日まで爆睡し、なんとなく腹が減って起きた気がする。
そして蒸しパンを売店で買ってきてもらい食べた(´∀`)
麻酔後の吐き気やら頭痛は全くなかったよ。


その後リハビリをした。
1日に二、三回か看護婦さんが肺活量測定の器具みたいなヤツを持ってきた。
『思いっきり息を吹き込んでね。』

これが少し肺が痛かったような気がする。
手術痕が疼くみたいな感じ。

手術の痕は背中、右脇腹に二つの計三個ある。
一番大きな痕でも、親指の第一関節位の大きさ。

パッと見は分かりません。

触られたりしたら、疼くような感じは未だにあるがね。
PR

コメント
気胸とは(-o-;)
大変でしたねぇ
ちなみに気胸てのは肺をとりまく胸膜の中にガスが入ってしまうために肺が縮んでしまう病気ですね
本来肺はこの胸膜の中の圧によって拡がりが調節されている(横隔膜下がる→胸膜が拡がる→スペース拡がる→圧が下がる→肺が拡がる)のですがガスが胸膜に溜まってしまうと圧が上がってしまう訳ですね。だから治療としては胸膜に穴を開けてガスを逃がしてやる訳です。
また、片肺だけなら何とか生きられるのですが片肺がやられるともう一方の肺にも発症しやすくなるので注意が必要みたいです
両方やられたらアウトですからね┐('~`;)┌
【2007/06/20 11:17】 NAME[○坊] WEBLINK[] EDIT[]
そういえばそんなことも
お見舞いにいった記憶があるなぁ。
肺に管通してたまま、一時間半ぐらいだべりに行ったか。

覚えてるぜ相棒。w
【2007/06/20 20:23】 NAME[悪夢] WEBLINK[] EDIT[]
ふむふむ

流石はF大医学生。
素人にも分かりやすい解説やな。
あ~、肺気胸の再発は大体一桁な%と言われたような。

まぁ、もう年齢的にはかかりにくくなるだろうしね。(二十代までと聞いた)


悪夢
ふむふむ、ワスも覚えておりやす。
おヌシが学校帰りに来たんをな。

そいや、工業ってなくなったと聞いたがホント?
【2007/06/21 10:46】 NAME[カイ] WEBLINK[] EDIT[]
無題
工業、商業、農林が合併して「田川科学技術専門学校」略して「たかぎ」になっただけよ。

ま、掃き溜め高校が三つそろってなんとやら、だろうがな。w
【2007/06/22 06:43】 NAME[悪夢] WEBLINK[] EDIT[]
そうなんや!
工業、農林、商業は潰れたと思ったが、統合されたんやね。
【2007/06/22 23:18】 NAME[カイ] WEBLINK[] EDIT[]


コメントフォーム
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード


忍者ブログ [PR]
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
最新記事
最新トラックバック
プロフィール
HN:
kai
性別:
男性
職業:
臨床心理士
趣味:
なんだろ?
バーコード
ブログ内検索