日々のあれこれを徒然なるままに、書き連ねているだけですw
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明けましておめでとうごさいます
今年もよろしくお願いします 帰省してましたが、先戻りました誾 話長いから、二つに切るよ。 バイトが29日に終り、30日に帰省だが、は民営化になって、都合悪いから、黒ネコヤマトの便が遅れてあわや乗り遅れになりかけた。 大晦日、香春の祖父宅にいく。 84になっても、未だに現役の医師として働いてる祖父は尊敬に値する 祖父とは、いつも戦争の話を聞く。 戦争末期、祖父は韓国の大邱(テグ)にある医学部に行っていた。 夏休みに友人が経営する園の手伝いに行った。 寛いでいたら、後輩がやってきた。 ラジオで天皇が話しているらしい。 なんと言っとるか、理解出来んかった。 ソ連が宣戦布告したんやと思ったらしい。 情報を集めるため、大邱に戻った。 街中が、マンセー、マンセーとお祭騒ぎ。 どうやら敗戦の知らせだったらしい。 慌てて、家に帰ると布団から、何から家財を一切盗まれた。 こりゃ、ヤバい 韓国で冬を越せないし、日本人だから殺されるかも知れない。 急いで帰国しようと、同郷の香春出身の人の店に駆け込んだ。 主人はいち早く釜山まで逃げようと言って、学生でのない祖父達三人を荷物持ちとして同行させた。 日本円は使えるが価値が暴落し、普段の何倍もを払い、釜山までの切符を買った。 釜山は避難民でごった返しだ。 も出港予定がわからない。 どんな時代も力あるものが勝つ。 軍隊や憲兵や役人が優先的に帰るらしい。 商人の主人は憲兵隊に親戚がいたらしく、は何とか確保出来た。 で門司港につけば、生まれ故郷の筑豊田川の香春までは車で一時間の距離なんで、歩いても帰れる。 祖父たちは暴落して、紙くず同然になりかけた日本円を使いきるために、闇市で食べ物を食べたり、買ったりした。 釜山にいて、数日でが出て。帰国出来た。 祖父は運が良かったと言う。 北朝鮮からきた避難民が釜山まできて安心したのか、線路で寝ていたら、列車に跳ねられて死んだり、に乗れない人達が帰りたい一心でボロボロの漁船を買い、それで帰ろうとし、福岡の玄海灘に消えた人たちの悲劇もあった。 香春に帰ってからも大変だったらしい。 食べ物がなかった。 僅かな配給の小麦粉を練り、カマボコ板で作った箱に詰め、電球から、配線を引っ張り、電極を繋いでパンもどきを作った話。 後輩と一緒にヘビをぶつ切り蒲焼きにし、七輪で焼いて食べた話。 醤油や砂糖なんかないから塩だけで食べる。 味いが、他に食べ物がない。 空豆畑に入り、豆を掴んだ瞬間見つかり、必死に逃げたこと。 お互いに生きるために必死だから、地獄の果てまで追いかける勢いで追われたこと。 終戦すぐに両親を亡くし、21、2歳そこらで 終戦の混乱の中、学費と生活費を稼ぎながら生きていたなどすごい話だ。 尊敬に値する 正月は伯父に会った。 医学部を卒業して、インターンで地元に帰った時の話を聞いた。 伯父は学生結婚だったみたいなんで、教授が例外として普通より早く配属をしてくれたらしい。 英彦山病院 老人科と精神科な 飯は不味くて、は砂嵐で見えない。 待機時間はすごい暇やったらしい。 その後すぐ、救急に配属。 免許取り立ての新人だから、何も出来ないのは自分が一番分かっとる。 しかも、救急だから、重患がいきなりやって来る 一人当直の時、のサイレンが怖かった。 俺は何も出来ない、こっち来るなよ まさにブラックジャックによろしくの世界だったらしい。 でも来たら仕方ない。 四十代女性が呼吸停止して⑩分の状態で運ばれて来た。 顔は引きつり、心臓バクバクしながら、救命措置。 呼吸ないから、肺に挿管。 初体験の挿管が一回で出来たら、急に落ち着いたらしく。 ベテランの先生に電話で指示を仰ぎながら、自分の出来る範囲で処置したらしい。 なんかな伯父らしいね(笑) 叔父の話も聞いた。 何回か歯学部で留年した話。 喧嘩の仲裁しようとして、顎を砕かれ、急患として手術 執刀医が、自分のゼミの教授ですごい恥ずかしい思いをしながら、手術を受けたらしい。 久し振りに祖父の家に行ったが、相変わらずだな バーで何万もするような酒が三階に何個も置かれていた? 弟が、ナポレオンがあると言った時、咄嗟に『下町のナポレオン(焼酎)』と言ったのはオイラです? 祖父とナポレオンを飲む。 やべぇ、いい酒はまぢ違う? 祖父は欲しいならやると言われたが、若いやつにはもったいないと反対された(泣) 帰省の後半は、次に続きます PR |
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